File #1 構成要素の1つ1つに分解して考える

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シリーズ:アンビエントロニクス研究所の研究シーズ

電子物理システム学科 谷井孝至 教授(分子ナノ工学研究室)

 

 谷井教授の研究室では、無機材料から有機材料、生体細胞まで幅広い材料を対象として、ナノ加工技術を駆使した様々な研究を展開している。研究室は大きく分けて「量子コンピューティング・センシング班」と「ニューロナルネットワーク班」の2班から構成され、この2班に加えて、建造物の健全性モニタリングのためのセンサ・ノードの開発も行っている。

 研究テーマが幅広いのは、ナノ・マイクロ加工技術の異分野応用に関心があるから。ほとんどの研究テーマが他研究室・他機関との共同研究だ。「建築分野の専門家からマイクロエレクトロニクスで解決できそうな面白い課題を聞きだしたり、細胞やタンパク質の専門家に会ってナノテクノロジーに対するニーズを聞いたり、という活動をしてきたので、相手のニーズに沿っていくと必然的に研究の範囲が広くなる」と谷井教授は語る。

 

何でも要素に分解して考えてみる

 様々な異分野との交流を進めていった結果、「対象を要素に分解して、個々の機能がどんな物理的役割を持っているか」という、共通の考え方をしていることに谷井教授は気が付いたという。例えば、固体中に不純物原子が1個だけあったとして、そこから光子が1個ずつ出てくるとする。そのような不純物原子の周りに1個だけ電子があれば、そのスピン1個を使えるのではないか。あるいは、ミクロスケールの小さな容器の中で分子を閉じ込めて、光子と分子の相互作用を直接観察できないだろうか。生体細胞の場合は細胞ごとに個性があるので、まず1個ずつの細胞にわけて機能を調べたくなる(図1)。こうして次第に研究は対象物を1個ずつ分けて扱う方向にシフトしていった。

 建築物も例外ではない。建築物も構造部材から構成され、梁と柱で強度が保たれている。すると、建築物全体の耐震性を調べるためには、まず1本1本の梁や柱の状態を把握する必要がある。こういう考え方は、他分野で行っていることと基本的に同じだ。


図1 ニューロナルネットワークの実験結果

シングルイオン注入法による単一光子源の開発

 谷井研究室には「シングルイオン注入装置」というユニークな実験装置がある(図2A)。この装置を使えば、例えばトランジスタのチャネル領域に1個だけ不純物を注入することができる。すると、単電子トランジスタのように電子1個ずつが流れるようなトランジスタになる。低温では、不純物準位の電子が伝導帯に励起されず自由電子になれない。すると、不純物準位を介して電子が連動する現象が見える。

 発光する不純物を注入すれば単一光子源として使える。シリコン基板は間接遷移型半導体なので光らないが、エルビウムなど希土類元素を入れて近赤外領域の光を出せる可能性がある(図2B)。このアイデアは昔からあったが、実際にはなかなか光らないことが知られていた。谷井教授は、不純物の周りに共鳴構造を作るなどの工夫をし、最近ようやく発光現象を起こせるようになった。今後は単一光子源の実現を目指す。単一光子源ができれば、途中で情報が傍受されたかどうか分かるような量子暗号通信技術に応用できる。

 基板をシリコンからダイヤモンドに変えると、バンドギャップが大きくなるので、窒素と空孔からなるNVセンターと呼ばれる欠陥準位で電子スピンの室温操作が可能となる。この電子スピンを使えば、他のスピンがつくる磁場を敏感にセンシングすることができる。「量子センシング」と呼ばれるこの新しい技術を、アンビエントロニクス研究所メンバーの川原田洋教授と共同で開発している。また、ダイヤモンド基板にシリコン原子を注入すると、室温で鋭いスペクトルを示す単一光子源ができることも実証している(図3)。


図2A シングルイオン注入装置の概要

図2B 単一光子源のアイデア

 

図3 室温におけるErのフォトルミネッセンスの実験結果

建築物の健全性モニタリング・システムの開発

 建築学科の西谷章教授との共同研究で進めている研究テーマが、位置検出素子(Position Sensitive Device; PSD)を用いた、高層建築物の層間変位センサーの開発だ(図4)。大地震の後で建物の損傷具合を診断するために用いるもので、建物の各階がどのようにずれたかをモニターすると、そろそろ危ない建物、まだ大丈夫な建物化がわかるという。谷井教授が開発したPSDセンサーは、およそ100μmの精度で層間変位を検出できる。加速度センサーの値を積分して変位を求める従来法と比べて、変位を直接計測できるため、振動が収まった後の残留変位を正確に測れる利点がある。

 最初の試作機で、振動が収まった後も元の値の戻らない現象を不具合と考え、その解決に頭を抱えていたところ、建築の分野では重要な「残留変位」を直接とらえていることを西谷先生らに指摘され、初めて有意義なデータとわかったという。

 このPSDセンサーは、それほど高度な技術ではなく、センサーとオペアンプとAD変換回路が付いたシンプルな電子回路だ。西谷先生から、「小さくしないで、まず大きくても良く、頑丈なものを、変なハイパスフィルターなどを使用しないようなものを試作してほしい」という要望をいただいたためだ。建築現場では、色々な技術を入れ込むほど測定結果を疑われ、使ってくれなくなるらしい。できるだけ簡単な原理で、光の照射位置の軌跡をアナログ出力される、といった簡単な方法の方が、現場で受け入れられやすいという。

 前回の東京オリンピックの頃に建設された多くの橋梁や高層ビルは、もう30年以上も経過している。免振ゴムを採用した建物の第1号では、そろそろそのゴムの寿命を迎えるころだ。そうした老朽化が懸念される建造物に取り付けることが効果的と考えられる。阪神淡路大地震の時、建築構造物の健全性を1級建築士が1か月もかけて一つ一つ確認したという。こうした社会インフラの健全性を手早くセンサーで確認できれば、災害からの復旧を大幅に早められると考えられる。


図4 位置検出素子(PSD)を用いた建築物の層間変位センサー(免震層設置例)

谷井教授の得意技

 谷井教授が得意にしているのは、異分野間のギャップを埋めること。相手のニーズを聞き、それを具現化するのは大変な作業だが、まずは試作品やモック、電気回路、ソフトウェアなどを形にして見せてみる。すると、異なる専門用語を話す専門家同士でも、具体的なモノを前にすれば意思疎通が図りやすくなる。モノづくりの技を活かして異分野融合を促進できるのが、谷井教授の持ち味だ。

 

今後の展望

 長期的には計算や、知能などに繋がるような研究をしたいと谷井教授は語る。「ATPを使って計算ができるか?」というお題を考えて、針を2本、生体細胞に刺すと、ゆっくりゆっくりと計算が進む。そんな事を日々考えているそうだ。そうした研究を始めるにはきっかけが必要なので、まずは現実的に可能なところから、計算や知能に繋がりそうなテーマを研究していきたいという。


電子物理システム学科 ナノ理工学専攻
谷井孝至 教授

経歴

1994年 早稲田大学理工学部電子・情報通信学科 卒業
1996年 同大学院理工学研究科修士課程 修了
1996-1999年 日本電信電話(株)勤務
2002年 早稲田大学大学院理工学研究科博士課程 修了
2001年 早稲田大学理工学部助手
2003年 同大学院理工学研究科講師
2005年 同大学院理工学研究科助教授
2007年 同大学院理工学研究科准教授
2010年 同大学院理工学研究科教授

 

 

記事作成:早稲田大学 アンビエントロニクス研究所 西当弘隆

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